子どもの頃は少数派の家庭環境でした。

周りのご家庭が会社員世帯の中、私の父は当時は珍しい自営業で、日曜日もお正月もお盆等すべて関係なく朝早くから遅くまで働いていました。

父親と一緒に遊びに出かけたり家族旅行なんて全くありませんでしたし家族団欒の思い出も殆どありません。

共働きでしたのでそんな父と同じように母も忙しかったのです。そのため母はよく体調を崩してましたが、父の仕事も手伝ってパートもして家事もして…今思うと凄い人だと思います。なので心の底から感謝の気持ちでいっぱいになります。

私が何かを面倒だとか仕事をしていて苦だと感じたことがないのは両親の影響を受けているからかもしれませんね。

がんばっている背中をみてますので幼い頃から父や母のマッサージをする事が大好きでした。喜んでもらえたのも嬉しかったんですね。

そして私には偉大なる姉がいます。姉はいつも私の事を笑わせてくれていました。それもお笑い芸人の笑いをはるかに超えるくらい面白いのです。笑い過ぎてお腹も背中も肩もいろんな部分が痛くなるほど笑わせられました。笑

両親が共働きでもそんな姉がいましたのでちっとも寂しくはありませんでした。それに父は私に勉強するようにとも言いませんでしたしゲームや玩具や何かを買い与える事もしませんでした。幼少期から毎日外で遊んでいました。

ピンク色の夕日が沈むまで自然と触れ合っていました。

太陽の光や雨の雫。風の音や水の音。

花や木の香りに身を委ねて、土や石や空気。

鳥や虫や動物たち。小人や妖精や精霊たちと一緒に。。。

とても敏感な体質になったのもそのせいかもしれないですね。

また、母は外食に連れていく事もしませんでしたし添加物の入った食べ物も市販のお菓子等を食べさせたりせず、おやつがあるときには手作りのお菓子だったのです。

高カロリー食も食べる事もなかったし、今、言われている身体に良くないものを口にするとすぐお腹を痛くし、口の周りが腫れてかぶれたりしてました。

自然の中で自然体に育ったんですね。

これは栄養学を学んでからわかったのですが、今までの過去の経験から食の大切さが本当に実感しました。

DNAの事も栄養学の勉強をしてからは全てが答え合わせでした。

子どもの頃の自分がどんなに身体にあったことをしていたのかもわかり、どうして1日も休んだ事もないくらい健康だったかの理由も分かったからです。

 

DNAについてはまた紹介いたしますが周りから純粋とかピュアとか言われるのはこういった環境で育ったからだと思います。

 

たくさんの愛を受け取って

愛がすべての生き方でした。

だから

すべてが当たり前なのです。

奇跡が毎日起こる事も。

空気が感情を乗せて伝えにきたり

触れると心と魂、細胞とお話が出来たり

時空を超えてメッセージが

伝えてあげてと教えてあげてと言ってくるのも。

過去も未来も見える時

ふれちゃいけない言葉は発しない。

必要な言霊を必要な人にお伝えしてきました。

時に

嫌われ役をかっても

その人が良くなればいい。

宿命は

決まってるけど運命はかえられる。

まいにちの食事で

身体がつくられる。

 

健康第一。

未病のために。

また明日

元気に笑って過ごせるために。

あなたがより幸せで豊かな人生を歩めますように。

お手伝いが出来ればしあわせです。

 

愛のカケラくらいはお届け出来るのではないかと思い

LOVEのカケラは誕生しました。

 

 

一生に一度しかない貴方様のかけがいのないお時間がより光輝きますように…

TOMOMI